2026年、PADIは創立60周年という大きな節目を迎えます。
1966年、ジョン・クローニンとラルフ・エリクソンという、たった二人の熱い想いからスタートした小さな挑戦は、いまや世界を代表するダイビング教育機関へと成長しました。
この歩みの背景には、世界中のダイバーやコミュニティの皆さまから寄せられた変わらぬ信頼があります。その支えこそが、私たちがダイビングの卓越性を追求し続けられた理由であり、60年にわたる原動力です。
では、PADIはどのようにして“いま”に辿り着いたのでしょうか。
節目の年を迎えたいまこそ、原点回帰の気持ちで、創業当初から続いた 挑戦と進化の軌跡をひもといてみたいと思います。
1966年:すべては一本の電話から始まった
1966年、ジョン・クローニンはインストラクター資格コースのプレゼンを行なうため悪路を3時間かけて会場へ向かいました。しかし到着してみると、コースは突然の中止。認定機関がプロフェッショナルのかけらもなく、最新の指導方法も採用しておらず、そんな業界にそもそも不満を感じていたクローニンは、ジョニーウォーカーを一本手に取り、友人のラルフ・エリクソンに電話をかけます。
「もっと良いダイビング教育団体をつくろう」
その一言から、PADI(Professional Association of Diving Instructors) が誕生したのでした。

1966年:最初のPADIロゴの誕生
クローニンの「ナショナルジオグラフィックのような“上品さ”がほしい」という一言を受け、エリクソンが初代PADIロゴをデザインしました。
クストーの『沈黙の世界』の写真にインスピレーションを受け、たいまつ(松明)を持ったダイバーのシルエットが生まれたといいます。
貼り付け文字を何時間も並べた末、誤って“Professional”の e をひとつ抜かしてしまったエピソードも。
そのまま2年間気づかれなかった「スペルミス入りロゴ」は、いまも米国・カリフォルニアのPADI本部オフィスに展示されています。
2025年の現在、PADIロゴに描かれたこの志を持つ人を「灯火(トーチ)を持ち導く人(ベアラー)(Torchbearer)」と呼び、環境保全というテーマを掲げ、実現のための5つの指針を立て、海に対するその思いをPADIは引き継いでいます。
>> 海のためのトーチベアラーとPADI AWARE財団

1967年:新しい教育への挑戦、日本での活動スタート
エリクソンの願いは「ダイバーが水中世界をもっと深く楽しめる教育をつくること」。
彼はスキンダイバーからマスター・インストラクターまで幅広いコースを設計し、継続教育という今では当たり前の発想を先駆者として提示します。
この年、初の日本人PADIインストラクターが米軍基地で認定され、日本での活動もスタートしました。
1968年:写真入りIDカードという革命
PADIが発行したダイバーであることを証明するIDカードには、ダイビング業界で初めて写真が掲載されました。
これはクローニンがトレードショーで得たアイデアで、器材レンタルやシリンダー充填の手続きは劇的にシンプルになりました。PADIはわずか数年で、業界を変える“火花”を散らし始めていたのです。
PADIの歩み:1970年代 ― 飛躍の時代
1970年代は、PADIが世界に存在感を示した10年でした。
新しいコースの開発、教育手法の変革、そして認定ダイバー数の急増。PADIは「世界で最も信頼されるダイビング教育機関」への道を力強く歩み始めます。

1973年:マスター・スクーバ・ダイバー誕生
業界初の非指導資格として、6つのスペシャルティを修了したダイバーに授与する制度を導入。
当時から、水中写真、ケーブ、レックなど今も人気の高い領域がすでにラインナップされていました。
※2025年現在、マスター・スクーバ・ダイバー認定に必要な条件は5つのスペシャルティ・コースです。
1978年:教育の革命 “モジュラー・スクーバ・プログラム”
軍隊式で理論偏重だった従来のトレーニングを一変させ、「小さな単元への分割」、「実践スキル重視」、「統合教材」、「自分のペースで学べる設計」という画期的なアプローチを導入。
これはやがて多くの指導団体の“スタンダード”となる教育モデルの礎となりました。
1979年:日本オフィス設立、日本での認定数も急増
PADIの最初の海外オフィスは、1979年に日本・東京に設立されました。これは、資料の翻訳と言語間のコミュニケーション向上を目的として設立されたPADI潜水指導協会から発展したもの。日本オフィスは、PADIファミリーが国際的に拡大する中で、世界各地で展開される数多くの事業の先駆けとなりました。後の1982年にPADIインターナショナル・ジャパンが設立されることになり、国内の普及とアジア展開の大きな足がかりに。年間10万件の認定を突破し、PADIは世界的組織としての勢いを明確にします。
PADIの歩み:1980年代 ― 研究と革新の時代へ
1980年代は、PADIがダイビング研究の真のリーダーとなった時代でした。ダイビング研究に積極的に取り組むことで、PADIは新しいテキスト、ツール、そしてコース構成を開発し、それらは現在もダイビング業界に貢献し続けています。

1981年:プールダイブという新常識
初心者が最初からスクーバ器材を使ってプールで学ぶスタイルを確立。“Dive Today(ダイブトゥディ/今日からダイビング)”という哲学は、現在もPADI教育の代名詞です。
1984年:レスキュー・ダイバーという価値の確立
レスキュー・スキルをメインのコースとしてダイバー教育に組み込むことで、「最も好きなコース」と多くのダイバーが語る名プログラムへ。
1988年:RDP(レクリエーション・ダイブ・プラナー)の登場
1960年代当時、ダイバーは世界で最も研究され、安全性が実証されていた減圧モデルであったUSネイビーのダイブテーブルを使用していました。しかし、USネイビーのテーブルは、若く、強靭で、訓練を受けた軍人向けに作られたものでした。
そこでPADIは、「一般のレジャーダイバー」向けにするため、安全寄りの保守性を追加して、減圧不要潜水に特化した新しい減圧モデルの開発に資金提供を行ないました。
その結果生まれたのが、1988年にPADIがテーブルとホイールの形で発表したレクリエーショナル・ダイブ・プラナー(RDP)です。これらは、減圧不要のレクリエーショナル・ダイビング専用に作られた最初のダイブテーブルでした。
現在でも、RDPのテーブルや電子版「eRDP」は販売されており、安全なダイビング文化を支える基準としていまも生き続けています。

1989年:日本のダイブカルチャーが動いた年
「日本初のCDTC(コース・ディレクター・トレーニング・コース)開催」、「宝酒造のPADIドリンク発売(日本で初めてのステイオンタブを採用)」、「映画『彼女が水着に着替えたら』上映でブーム到来」など、ダイビングは文化となり、PADIはムーブメントの中心にありました。



1989年:環境保全プロジェクトが始動
ダイバー教育を通じて環境意識を高めるためのPADIの環境保全プログラム、現在の「PADI AWARE」はこの時期に活動を開始。最初は「AWAREプロジェクト」という名称のキャンペーンで実施し、2000年に非営利活動法人プロジェクトAWARE財団を設立。
現在はPADI AWARE財団と名前を変え、PADIとPADI AWARE 財団は共に、ダイバーを団結させ、私たちの海を守るための世界的なムーブメントを推進しています。

PADIの歩み:1990年代 ― 拡大と多様化の10年
1990年代はPADIにとっての成長期。この10年間は、自習での学習や新しいコースの開設が進み、PADIライブラリーのあらゆるコンテンツが充実した時代でもありました。

1991年:日本、世界に先駆けプラスチックCカードを導入
世界的にPADIではCカードが「パウチ」だったのを、PADIジャパンは先行してプラスチック・カードを導入・発行を開始。現在では再生プラスチック素材を使ったCカードが標準になってきています。
1991年:ビデオ教材で自習学習が加速
映像教材が標準となり、家庭で学習という新しいスタイルが世界に広がりました。そしてVHSからDVDへ。
1992年:年間50万件の認定を突破
PADIは史上初めてこの規模に到達した教育機関となり、わずか2年後には累計500万件へ。
1995年:エンリッチド・エア(ナイトロックス)の普及に貢献
PADIは、レクリエーション用エンリッチド・エア(ナイトロックス)に重点を置き、ダイビング研究への貢献を継続しました。1995年には、PADIはエンリッチド・エア・ダイバー・コースを開設し、レクリエーション用エンリッチド・エアを業界の定番として定着させました。PADIエンリッチド・エア・ダイバー・コースは、成長著しいテクニカル・ダイビング業界にも貢献。PADIは1992年のエンリッチド・エア・ワークショップにも貢献し、水中高圧医学協会と緊密に連携して、ダイバーの安全性向上と研究に尽力しました。今日、エンリッチド・エアは広く普及しており、PADIのスペシャルティ・プログラムの中で最も人気のあるコースとなっています。
1997年:PADIジャパン関西オフィス(現大阪オフィス)を開設
PADIの歩み:2000年代以降 ― 未来へ続く進化
PADIは、前世紀の勢いをそのままに2000年代に入りました。1999年の「エッセンシャルチェンジ(根本的な改革)」からの2000年以降、PADIはプログラムや教材を拡充し、子供たちから、限界に挑戦する上級ダイバーまで、より幅広い層のニーズに対応してきました。
2000年:PADIのテクニカル・ダイビング「TecRec」、2001年:子供向けプログラム「PADIシールチーム」、2005年:RDPの電子版「eRDP」発売開始、2007年:eラーニング提供開始、2011年:リブリーザーとサイドマウント・プログラムのスタート、2013年:eラーニングのタブレット版である「オープン・ウォーター・ダイバーTouch」をリリース、2015年:Women’s Dive Dayスタート。



60年の歩みに感謝を込めて
2003年、ジョン・クローニンは亡くなりました。彼の友人であり、PADIの共同創設者であるラルフ・エリクソンはその3年後に亡くなりました。彼らは誇り高く、長きにわたりPADIのトーチを背負っていました。彼らの遺志を継いだPADIのプロフェッショナルたちは、世界にスクーバ・ダイビングを紹介し続けています。
2026年、PADIは60周年を迎え、海の惑星である地球の健康を守るという長年の取り組みを、あらためて力強く示します。
“次の世代の子供たちが、私たちと同じように水中世界を楽しむことができることを願っています。私たち人類の直面している多くの問題点は、すべて私たちが原因です。私たちダイバーが水中世界の保護に立ち上がらなくて、誰がやるのでしょうか?”というのはクローニンの有名な言葉です。こういったクローニンの環境保護の遺産を受け継ぎつつ、PADIは世界中のダイバーやプロフェッショナルのネットワークを通じて善の力になることを決意しました。
安全で責任あるダイバー教育を守りながら、PADIはダイビング業界や地球にとって大切な問題に向き合い、必要な情報と具体的な行動を示すことで、世界中の取り組みを後押しし、よりよい社会と環境づくりを進めていくことを目指しています。
PADIの歴史に共に歩んでくださった世界中のダイバーの皆さまに感謝申し上げます。
過去60年間、私たちはダイバー・トレーニングの世界的リーダーとして、素晴らしい経験、繋がり、成長、そして成功の道のりを共に歩んできました。そして、これから先の60年間に何が生まれるのか、楽しみにしています。

